説明しすぎそうになった朝の便り
毎日の便りが、ある日まったく外れているように感じました。でも、メールの小さな癖に気づいたことで、その読み方が変わりました。四柱推命の読みが、本当は何に気づくためのものなのかを考えるきっかけになった出来事です。
数週間前のことです。朝の便りに、物事をシンプルにするといい、と書かれていました。
でも、その日のどこがシンプルなのか分かりませんでした。返さなければならないメッセージがいくつもあり、締め切りは二度も変わっていて、前の日から返事を避けていたメールも一通ありました。昼ごろには、「これは外れたな」と思っていました。
そのメールは、仕事の一部を少し変えてほしいという内容でした。怒っているわけではありません。長い説明も必要ありませんでした。三つの分かりやすい文で返せたはずです。
それなのに、私は六つの段落を書きました。
最初の案がどうしてその形になったのか説明し、前に話したことまで書き足しました。次にできそうなことを二つ挙げたあと、念のために三つ目まで加えました。送る前に最初から読み返してみると、話を分かりやすくしているわけではないと気づきました。誰にも誤解されたくなくて、何度も説明していたのです。
そのとき、朝の便りを思い出しました。出来事を言い当てていたわけではありません。私がその日に持ち込んでいた、いつもの癖を指していたのです。
読みは出来事を言い当てなくてもいい
毎日の読みについて初めて聞く人は、はっきりした予告を期待することがあります。良いことが起こるのか、大変なことが起こるのか知りたい。そう思うのは自然なことです。忙しい日ほど、すぐに使える情報がほしくなりますから。
でも、私が書く便りは、書かれていたことがそのまま起こらないときのほうが、役に立つこともあります。
たとえば、「言葉に気をつけて」と書いてあったとしても、すぐに言い争いが起こるという意味とは限りません。長すぎるメッセージを書いてしまうかもしれない。予定を確認する前に何かを引き受けてしまうかもしれない。相手がもう分かっているのに、自分のことを何度も説明し続けるかもしれない。
大事なことは、見落としてしまうほど小さな形で表れることがあります。
だから私は、毎日の便りを出来事の一覧のようには扱わないようにしています。自分がいつもしていることに、そっと光を当てるものだと考えています。何度も繰り返しているから普通に感じてしまう、自分の癖に気づかせてくれることがあります。
送信する前に気づけたこと
私はメールを短くしました。これまでの経緯は外して、聞かれていたことへの答えだけを残しました。そして送信しました。
数分後、相手から「完璧です。ありがとうございます」と返事が来ました。
何か大きなことが起きたわけではありません。隠れていた未来が明らかになったわけでもありません。ただ、必要以上に小さな仕事を重くしていた自分に気づいただけです。
それでも、私はこの仕事に何度も戻ってきます。便りは、目を引く内容でなくても役に立ちます。送ろうとしている文をもう一度見直すきっかけになったり、これからする約束を考え直すきっかけになったり、抱えなくてもいい心配に気づかせてくれたりします。
どうするかを決めるのは、あくまで自分です。便りが代わりに決めることはできませんし、そうするべきでもありません。ただ、少し立ち止まって、選ぼうとしていることを前よりはっきり見せてくれるだけです。
そんな朝もあります。それで十分なこともあります。
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